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東京高等裁判所 昭和29年(う)701号 判決

控訴人 被告人 山口義一

弁護人 福田力之助 外一名

検察官 吉岡述直

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は被告人及び弁護人福田力之助外一名共同作成の各控訴趣意書の通りであるからこれを引用しこれに対し当裁判所は次のように判断する。

一、弁護人の論旨第一点及び第二点について。

原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人は外二名と共謀の上昭和二十六年三月四日頃東京都豊島区西巣鴨四丁目の路上で警邏勤務中の巣鴨警察署勤務巡査日野備に対し「パトロール制をやめろ」の題下に「このように民族を滅す″単独講和″や″再軍備″のためのアメリカ式パトロール制は下級警察官の断こたる反対のたたかいによつてぶち破らなければならない」等の記事を掲載した一九五一年二月一五日附「人民の兄弟」NO. 6一部を配布した事実は優にこれを認めることができ、右記事の内容が怠業的行為をそそのかすものであることは該記事自体に徴し明らかである。尤も起訴状には右文書を配布した時期は午後三時四十分と記載してあるに拘らず、証人日野備は原審公判廷で午前九時頃と述べていることは所論の通りであるが、検察官から捜査過程の書類では証人が被告人から渡されたのは午後三時頃となつているがどうかと尋ねられたのに対し、現在では午前中のように思うが、しかし或は私の記憶違いかも知れないとも述べているのであり、原判決は昭和二十六年三月四日頃と認定しただけで時刻を認定していないのであつて、右時刻に関する部分の公訴事実と証人の証言とのくいちがいは、公訴事実の同一性を害するものとも認められない本件においては、原審の右認定を以て事実の誤認があるとすることはできない。記録を精査するも原判決の事実認定に判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるとは認められないから事実誤認を主張する右論旨はいずれも理由がない。

被告人の論旨三及び弁護人の論旨第三点について。

地方公務員法第三十七条第一項に規定している怠業的行為をそそのかすという行為の態様については、法律は何等の規定をしていないのであるから、当該行為が怠業的行為をそそのかすものと認められる限り文書の配布のみでも足りると解すべく、原判示によれば被告人は外二名と共謀の上警邏勤務中の巣鴨警察署勤務警視庁巡査日野備に対し原判示のような文書を配布したというのであつて、警邏勤務中の巡査が該文書を読んで怠業的行為に出る危険がないとはいえないから、かかる文書を配布しただけでも具体的に怠業的行為をそそのかしたものというべきである。そして単に通常人に配布した場合にどうなるかということは本件とは別個の問題である。また文書の配布自体による場合でもこれによつて公共の福祉に反する行為をしたときは憲法第二十一条による表現の自由の保障はないものと解すべく、本件行為が公共の福祉に反するものであることは明らかであるから、論旨はいずれも理由がない。

二、被告人の論旨二及び弁護人の論旨第四点について。

憲法第二十一条の表現の自由も無制限の自由ではなく、公共の福祉に反しない限度において保障された自由と解すべきところ地方公務員に対し地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為の遂行をそそのかし若くはあおる行為等を禁止した地方公務員法第三十七条第一項の規定は、地方公共団体の機関の活動能率の低下を防止する目的で公共の福祉のために設けられた規定であるから、これに違反した者に対し三年以下の懲役又は十万円以下の罰金を科することを規定した同法第六十一条第四号の規定は憲法第二十一条に違反するものではない。

論旨はいずれも理由がない。

(その他の判決理由は省略する)

(裁判長判事 小中公毅 判事 工藤慎吉 判事 渡辺辰吉)

弁護人の控訴趣意

第一点(事実誤認の主張)原判決は被告人が「氏名不詳者二名と共謀の上昭和二十六年三月四日頃西巣鴨四丁目の路上で巣鴨署勤務警視庁巡査日野備に対し」判示人民の兄弟NO. 6一部を配布した旨認定して証拠として証人日野備の供述、押収の証第一、一四七号の一を挙示した。併し乍ら証人日野の供述は、(イ)時刻の点で起訴状には「午後三時四十分頃」と特定されているに拘らず、その日の「朝九時頃この日は春には珍らしいよい天気で」あつた旨述べている。(ロ)(記録一〇六丁裏)「その時三人が一緒に印刷物を配布していた様ですが、その時の状況からして三人が一緒に行動している様に思はれました云々」との記載あるのみで所謂共謀の認定をすることは出来ない。(ハ)更に交付の状況の供述についても疑わしい点が多々あり、右供述は信用出来ないものである。

第二点(判示文書には怠業的行為をそそのかす意味はない)

「パトロール制は下級警察官の断乎たる反対のたたかいによつてぶち破らなければならない」の趣旨は方法として「反対のたたかい」といい「ぶち破らなければならない」と説いたものであつて具体的に怠業行為をそそのかす内容を有するものではない。

第三点(文書を交付したのみで怠業的行為をそそのかすことにはならない)所謂怠業的行為をそそのかすというには前記の如き文書の交付以外に何等かの行為を要するものと考える。原判決認定の如くであれば警察官に交付した場合が本件犯罪が成立し、通常人に交付した場合にはどうなるか、又文書の交付自体が犯罪であるというが如きは正に憲法第二十一条に違反する。

第四点(地方公務員法第六十一条第四号は憲法に違反する)「何人も……そそのかし若しくはあおつたものは云々」と規定し三年以下の懲役又は十万円以下の罰金刑を科している。日本国民に対し斯かる広い範囲の言動を刑罰を以て制限するが如きは憲法第二十一条に違反すること明かである。更に本件の如く単に一般的の意見を記載した文書を交付したのみで本条に該当すると認定した原判決は何れの点より見るも破棄を免れない。

被告人の控訴趣意

二 地方公務員法そのものが憲法違反であります。

此の法律の出来た当時(昭和二十二年・二・一ゼネストの後)の労働運動の中心部隊であつた、官公庁の労働組合を骨ぬきにし、組合の団結権、罷業権、政治活動を禁止する為めに立案されたが、進歩政党及び労働組合を中心とした国民の反撃に会ひ、やつと議会を通過した法律であります。

当時占領軍と吉田政府は占領制度をたもつ為めに警察権力を、其の手ににぎり、又、占領制度を、執行する機関である諸官庁を、国民に奉仕する為めにではなくて、売国的な、吉田政府の思う通りに使う事が出来る様に政治活動、其の他、色々のわくを、はめたのであります。そして講和条約を結んだ今日でも、此の法律は、なくならないで、現在では、日本の植民地体制を、いじして行く上に、吉田政府の売国的な権力をたもつて行く上に非常に重要な役割をしている、おそるべき法律であります。

建設省に勤務している或る労働者は、保安隊用の兵舎、住たくの設計がふえて困る、私は再軍備には反対なのだが公然と反対も出来ないし弱つたと云つております。又下級警官は「私達も給料が上るのはうれしい。しかし、都労連の組合がストライキをやれば、弾圧しなければならないし、矛盾してますよ」と云つております。この様な人達はすべて公務員であります。この人達は、自分の考えを自由に話す事も出来ないし、自分の正しいと思つた主張を通す事は、なおさら出来ません、憲法で認められた、ものを云う自由の一かけらもうばはれてしまつたのです。又建設省の労働者は再軍備をしないと云う憲法でうたつてある条項を守る事も出来ない立場におい込まれているのです。

国民は政治が悪い方向に向つていれば、なにびとも問はず、自由に政府を批判する事は憲法に認められているはずであります。又警察制度に対する批判も自由でなければならないはずであります。言論の自由があつてこそ初めて民主政治が可能と思います。

三 「人民の兄弟」と云う新聞をわたしただけで怠業行為をそそのかしたと云う事にはならない。もし配布者が共産党員以外の人であつたならばおそらく起訴もされなかつたろうし、投獄もされなかつたでしよう。なぜそうなのか、それは、配布者が怠業行為をそそのかす目的で、配布したかどうか、判だん出来ないからだと云うにちがいありません。では、もし共産党員が配布した場合、すべて怠業行為をそそのかす目的で配布したと確定出来るか、いや、私はそうでないと考えます。では一体唯れがきめるのか、もし検事や裁判官がきめるのであればあくまでも、ひとりよがりのきめ方であると云はなければならないと思います。ただ配布したと云うだけでは、警官が同僚達にさぼる事を実行させたり、又外部の者が同盟罷業を実行させたりするのと異なり配布者の目的は実に抽象的であり、第三者から、それを判断する事は不可能に等しいと思います。又起訴中にある「パトロール制は下級警官によつて、断固ふんさいして闘かわなければならない」の文章そのものは、地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をなすことをそそのかすものとはならない。先の文章は具体的に怠業行為をあほつた文章ではなくあくまでも抽象的であり、警官がこの文章を読んで、どう受取るかは我々の予想だけでは、判断出来ないものである。警官が怠業行為を起すか起さないかは警察制度に対する矛盾が(給料が少ないとか、重労働であるとか、官僚的であるとか)有れば、自然と出て来る問題であり、いくら外部から、同盟罷業をそそのかそうとも、警官自身が本当に、現在の政府が国民の為めの政府であり、其の政府のもとに、国民に奉仕すると云う自かくがあれば怠業行為も起きないものであると思います。

(その他の控訴趣意は省略する)

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